七里ヶ浜

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日本渚百選

七里ヶ浜は神奈川県鎌倉市南西部にある相模湾に面した2.9kmの浜で稲村ヶ崎と小動岬の間にあり、日本渚百選のひとつです。
地名の由来は稲村ヶ崎と小動岬の間が7里であるからという説があります。
かつては海食崖に直接波が打ち寄せる険阻な地形で交通は困難でしたが、鎌倉幕府が開かれると極楽寺の再興とともに極楽寺坂切通しが整備されて上方と結ぶ重要なルートとなりました。

サーフィンのスポット

七里ヵ浜は湘南海岸の一部として認識されることが多く、とくにサーフィンのスポットとして有名なポイントになっています。
かつては稲村ヶ崎海水浴場として利用されていましたが、海岸侵食のために現在では全面遊泳禁止になっています。

名所

七里ヵ浜の名所としては、「稲村ヶ崎古戦場」「鎌倉文学館による文学案内」「西田幾太郎博士の記念碑」「龍王山 霊光寺」「鎌倉パブロバ記念館」「万福寺」「稲村ヶ崎温泉」などがあります。

稲村ヶ崎古戦場

「稲村ヶ崎古戦場」は、新田義貞の鎌倉攻めのおりの戦場となったところで、古戦場として知られています。
新田義貞は稲村ヶ崎で黄金の宝剣を海中に投じ竜神に祈願したところ、潮がにわかに引き新田軍は干潟を走り抜けて鎌倉に突入することができました。

資料館

「鎌倉文学館による文学案内」鎌倉文学館は鎌倉市長谷にあり鎌倉ゆかりの文学、とくに鎌倉文士をテーマにした鎌倉市の資料館になっています。

西田幾太郎博士の記念碑

「西田幾太郎博士の記念碑」は、世界的哲学者の西田幾太郎博士の書碑「道」や銅像「考える人」などの複製が宇ノ木中学校グランドに配置されています。
西田家は潘政期には加賀藩の由緒ある家柄で、石碑の説明版には西田幾太郎が詠んだ短歌「吾しなば故郷の山に埋れて むかし語りし 友を夢みむ」と記されています。
「龍王山 霊光寺」は神奈川県鎌倉市七里ヵ浜にある日蓮宗の寺院で、山号は龍王山です。
明治時代末期「日蓮大菩薩祈雨乃旧蹟地」の石塔が出土したため日蓮上人像と本堂が建設されたのがはじまりです。

鎌倉パブロバ記念館

「鎌倉パブロバ記念館」は鎌倉の七里ヵ浜を走る国道134号線のすぐ傍にある洋館です。
バレエの草分け的存在エリアな・パブロバの遺品などを展示していましたが、平成8年に閉鎖されています。
いまではすっかり「幽霊屋敷」とまでいわれ、2階では青白い光ともに幽霊がバレエを踊っているという噂のある建物です。

満福寺

「満福寺」は天平16年(744)、行基が聖武天皇の命で建てた真言宗のお寺で、源義経が頼朝宛に腰越状をしたためた寺で義経手洗いの井戸、弁慶の腰掛け石が残ります。
「稲村ヶ崎温泉」は美人の湯といわれる褐色の温泉で、お肌がつるつるになると評判の温泉です。
18歳未満は入浴できないですが、散策のあとの入浴に人気があります。

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所在地マップ

【所在地】神奈川県鎌倉市七里ガ浜2

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