小田原城

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小田原市のシンボル

小田原城は昭和35年に市政20周年を記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。
江戸時代につくられた雛形や引き図を基に昭和35年に江戸の姿として外観復元されています。

展示施設

内部は歴史資料の展示施設となって復興にあたっては「瓦一枚運動」が展開されて、多くの市民からの寄付が寄せられています。
内部には甲冑や刀剣・絵図・古文書など小田原の歴史を伝える資料や武家文化にかかわり資料など展示されています。
標高約60mの最上階からは相模湾が見渡せます。

北条氏の本拠地

小田原城は、神奈川県小田原にあった戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で北条氏の本拠地として有名です。
江戸時代には小田原藩の藩庁があって城跡は国の史跡に指定されています。

特徴

小田原城の最大の特徴としては豊臣軍に対抗するために作られた城であるということで、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空掘で取り囲んだものです。
平地は近世に大久保忠世・稲葉正勝によって改修された部分で現在の小田原城跡公園及び、その近辺で主要部のすべてに石垣をもちいた総石垣造りのお城です。

三重に囲われた構造

小田原城は中核部が二の丸総堀、三の丸総堀、総構堀によって三重に囲われた構造となっています。
小田原城は歴史的には平安時代には相模国の豪族土肥氏一族である、小早川遠平の別館であったとされています。

小田原征伐

1590年(天正18年)には豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして関東の大名・佐竹義重・宇都国綱らとともに小田原城を総攻撃していますが、そのときの戦いを「小田原征伐」といって3ヶ月の籠城戦の末ほとんど無血で開城させたというものです。
江戸時代には北条氏の領土は徳川家康に与えられて家康の腹心大久保忠世を小田原城に配置しています。

国の史跡

近代に至っては1938年に「小田原城跡」としての国の史跡に指定されています。
後北条氏時代のものと思われる北東側の空堀と江戸時代の絵図などで知られる「早川口」関連遺構と考えられる二重の土塁ほか、堀切などについても国の史跡に指定されています。

観光

周辺の観光としては、湯河原温泉があって古く万葉集にも詠まれた秘湯の趣をもつ温泉場で、関東ではもっとも古い温泉で「傷の湯」といわれて外傷に効果のある温泉といわれています。
首都圏からも気軽に行ける温泉で春は新緑、六月は「ほたるの宴」夏は湯河原海水浴場、秋には紅葉やみかん狩り、1月は「梅の宴」と1年を通して人気のスポットです。

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所在地マップ

【所在地】神奈川県小田原市城内6−1

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