白鬚神社の大鳥居
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白鬚大明神
白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社です。
別称は「白鬚大明神」「比良明神」。
全国にある白鬚神社の総本社とされています。
沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称されます。
祭神は猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)といわれています。
社伝
社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるといわ、また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝えられています。
神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説があります。
一方で白鬚信仰の多く分布する武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もあります。
白鬚神社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っています。
歴史
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境内は、慶長年間(1596年-1615年)に豊臣秀頼によって整備が行われた。
本殿は慶長8年(1603年)の造営で、棟札等から、片桐且元を奉行として播州の大工の手で建てられたとされます。
間口三間・奥行三間の入母屋造で、向拝一間を付し、屋根は檜皮葺で、向拝の手挟・蟇股等に桃山時代の特徴を示しています。
明治の拝殿造営・接続に伴い、向拝の軒先は切り縮められて権現造のような複合社殿様式となり、その際に屋根も柿葺から檜皮葺に改められています。
国の重要文化財
この本殿は国の重要文化財に指定されていて、この本殿のほか、境内社4殿も同時期の慶長期の造営です。
また大鳥居は湖中に立ち、当社のシンボルとなっています。
鳥居について古くは弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれているが、その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝えています。
その伝説に基づいて昭和12年(1937年)に鳥居の寄進がなされ、昭和56年(1981年)に現在に見る鳥居が再建されました。
古事記
古事記によると、猿田彦神は「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は芦原中津国を光す神」だと見えていて、高天原からこの国土に降る道の途中に、四方八方に分岐する道があり、猿田彦神はそこに居られて道を守り、道を教えた神様です。
このことは天孫の降臨について、天孫の一行にその行く手を教え導かれた功績を褒め称えたものでり、これは「大にしては国の行く手を示す神であり、小にしては道の守り神として悪いものを防ぎ、よき方への導きの神であったことを示したものと言えよう」とあります。
日本書紀によると、この神は強い力の持ち主で威風堂々たる容姿の持ち主であったようで、 「その鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余、また口尻明りて耀れり、眼は八咫鏡の如くにして耀輝けること、赤酸醤(ホウズキ)に似たり」とあります。
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所在地マップ
【所在地】滋賀県高島市鵜川215
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