彦根城
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彦根城
彦根城(ひこねじょう)は、日本の滋賀県彦根市金亀町にあった日本の城で江戸時代および1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれていました。
江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)で、山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいいます。
多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城でした。
国宝・重要文化財
明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存します。
天守と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されています。
中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少です。
一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだといいます。
歴史
彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築され天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。
この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献しました。
これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となります。
彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となり、天守は18万石の頃の完成でした。
附櫓
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国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。
また、破風は変化の妙に富んでいます。
天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。
この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。
天守
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。
逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。
また、一層目は大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。
天秤櫓
彦根城の天秤櫓 (てんびんやぐら)は表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。
まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
また、橋は鐘の丸から渡され、廊下橋と名が残っています。
今は架け橋ですが、往時は両側に壁があり屋根のある橋でした。
中の人の動きが外からは見えないようにしてあったといわれています。
三重櫓
彦根城にはほかにも西の丸三重櫓 (にしのまるさんじゅうやぐら)といって、本丸の西側一帯を西の丸と呼び、その西の丸の一番はずれにあるのが三重櫓です。
10m以上にも及ぶ高い石垣の上に築かれています。
三重櫓の東側一帯は桜が植えられ、春にはお花見のスポットとして賑わいます。
ほかにも太鼓門櫓 (たいこもんやぐら)・時報鐘 (じほうしょう)・観音台 (かんのんだい)・山崎郭(山崎曲輪跡) (やまざきかく)・地蔵堂 (じぞうどう)・梅林 (ばいりん)・馬屋 (うまや)・玄宮園 (げんきゅうえん)・鳳翔台 (ほうしょうだい)などがあります。
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所在地マップ
【所在地】滋賀県彦根市金亀町1−1
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