四天王寺

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聖徳太子建立七大寺の一つ

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院で、聖徳太子建立七大寺の一つとされています。
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)で、「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいいます。

歴史

「日本書紀」によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたといいます。
当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称です。
また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられています。
なお、山号の「荒陵山」から、かつてこの近くに大規模な古墳があり、四天王寺を造営する際それを壊したのではないかという説もあります。
四天王寺の庭園の石橋には古墳の石棺が利用されているといわれます。
例えば、大阪にある帝塚山古墳は、「大帝塚山」「小帝塚山」地元で称されているものがあり、現在一般的に帝塚山古墳と呼ばれているのは「大帝塚山」で、その大帝塚山は、別名荒陵とも呼ばれています。
なお、小帝塚山は住吉中学の敷地内にあったと言われます。
また、東高津宮は仁徳天皇の皇居であるとする明治31年(1898年)の大阪府の調査報告などがあることから、歴代天皇のいずれかの皇居であったのではないかという説もあります。

四天王寺七宮

四天王寺七宮(してんのうじしちみや)は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その守護として近辺に造営された神社群です。
小儀神社(四天王寺東門前)土塔神社(同南門前)河堀稲生神社(天王寺区大道)久保神社(同勝山)大江神社(同夕陽丘町)堀越神社(同茶臼山町)上之宮神社(同上之宮町)今宮戎神社(浪速区恵美須西)です。
伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したといいます。
四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つであり、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設でありました。
施薬院、療病院、悲田院は少なくとも鎌倉時代には実際に寺内に存在していたことが知られています。

四天王寺の境内

境内中央南寄りに回廊に囲まれた中心伽藍があり、その北に六時堂(六時礼讃堂)、東に聖徳太子を祀る聖霊院(しょうりょういん)があり、境内西部の一画は四天王寺中学校・高等学校の校地となっていて、境内の北側は、東方が庭園のある本坊、西方が墓地となっています。
境内南端と東端の入口にはそれぞれ南大門、東大門が建ちますが、西の入口には門ではなく石鳥居が建ち、西大門はその鳥居をくぐった先(東)に建っています。
南大門が本来の正門ですが、「極楽浄土の入口に通じる」と信じられた石鳥居からの参拝者が多いです。
現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興したもので、全敷地面積33,000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など、たくさんの見どころがあります。

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所在地マップ

【所在地】大阪府大阪市天王寺区四天王寺1−11−18

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