和歌山城
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国の史跡に指定
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)で、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城であり、城跡は国の史跡に指定されています。
和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀としています。
本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城です。
概要
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本丸御殿は、虎伏山の頂上付近にあったため、藩主は二の丸御殿に住むようになっていました。
初代・徳川頼宣と正室・瑤林院(加藤清正の娘)、14代・徳川茂承と正室・倫宮則子女王(伏見宮邦家親王の娘)が邸宅に定めていて、倫宮則子女王が住んだため、宮様御殿とも称されていました。
1621年(元和7年)に造られた本丸庭園には、宝船を模した七福の庭がありましたが、給水場設置に伴い、1923年(大正12年)に松の丸へ移築されたものです。
二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれていました。
また、大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみであって、表は紀州藩の藩庁、中奥は藩主が執務を行う普段の生活空間、大奥は藩主の正室や側室たちの居所として機能しました。
現在、二の丸御殿の表・中奥に相当する場所は広場として開放され、大奥に相当する場所は芝生が養生され整備されています。
和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所でありました。
城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられています。
特徴
和歌山城の特徴としては、時代によって異なる石垣の積み方などがあります。
それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石があって、模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石です。
現在は、本丸と二の丸が和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護国神社があり、南の丸には和歌山公園動物園があります。
主に三の丸跡等には県庁、和歌山市役所や和歌山市消防局、和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがあります。
安土桃山時代には、豊臣秀吉の弟・秀長が、1585年(天正13年)の紀州征伐の副将として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増され、当時は「若山」と呼ばれたこの地に秀吉が築城を命じ、自ら「吹上の峰」を城地に選定し縄張りを行ったとされています。
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所在地マップ
【所在地】和歌山県和歌山市一番丁3
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