白兎神社

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概要

白兎神社(はくとじんじゃ)は、鳥取県鳥取市に所在する神社で、白兔神を主祭神とし、保食神を配祀しています。
白兔神は日本神話に登場する因幡の白兎のことであり、その説話の内容から皮膚病に霊験のある神として、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから特定の人との縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、特定の人との親交をより深めると信仰されています。
さらに、遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるということもあり、また、医療の神様でもあります。
創建の由緒は不詳ですが、かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれました。
戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興されています。
戦乱焼失後、白兎神の御神体は現白兎神社の南方10キロの山上に位置する松上神社に遷座されていたといいます。
現在の本殿は明治時代の再建で、亀井茲矩はこれに先立って摂津国(現在の大阪市)御霊神社(祭神瀬織津姫)を当時の自邸敷地内に遷座・復興していました。

不増不減の池

鎮座地は身干山と呼ばれる丘で、因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられます。
境内には、白兎が体を洗った御身洗池があり、御身洗池は旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれています。
本殿の土台には28弁の菊の紋章が彫刻された菊座石が使われており、当社の創建に皇室の何らかの関わりがあるのではと言われています。
境内ではないが、兎が体を洗ったと言う池ガマ、近くには国道9号を挟んで白兎海岸が広がり、沖には白兎がいたとされる淤岐島(隠岐の島)があります。
現在、神社鳥居の横に道の駅「神話の里 白うさぎ」があり、観光客で賑わいを見せています。
また内陸の山間部の八頭町には3つの白兎神社が祀られています。

八頭町の3つの白兎神社

1999年(平成11年)、旧船岡町出身の石破洋元島根県立女子短期大学(現島根県立大学)教授の研究発表、翌年の「イナバノシロウサギの総合研究」発刊により、この八上の白兎と天照大神伝承、それに関連すると思われる瀬織津姫祭祀、および白兎神社が脚光を浴びるようになりました。
現在、地元では、この白兎伝承を顕彰化するさまざまな動きが活発になっています。
かつての八上郡(鳥取県)の中心地、因幡の山間の八頭町には3つの白兎神社がありますが、その地には天照大神が行幸の際、白兎が現れて天照大神に行宮にふさわしい場所(現霊石山の伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内したという伝承が地元の青龍寺(城光寺縁起)、慈住寺(慈住寺記録)に記されています。
八頭町の3つの白兎神社は、大正時代に強制的な合祀により、同町宮谷の賀茂神社に合祀され、形式上は廃社となっています。
福本にあった白兎神社は、現在鳥居と額、神木と小祠があるのみであるが、元の本殿は紆余曲折の末、同町門尾(かどお)の青龍寺の本堂厨子として再利用され、本殿正面蟇股(かえるまた)には、波にのる兎の彫刻が施されています。
「波に兎」の装飾は、因幡の各地に散在するが、最近の調査によって八頭郡に相当数残存していることが判明しつつあるります。
天照大神はしばらく八上にとどまり、伊勢ヶ平近くの御冠石(みこいわ)で、因幡の国見をし、その石の上に冠を置かれたと言います。
この伝承には続きがあり、八頭町の隣、兵庫県境に近い若桜町舂米(つくよね)には天照大神の行幸伝承とともに、天照大神の御製といわれる和歌が伝わっており、かつての国境、現在の鳥取・兵庫県境、氷ノ越え(ひょうのごえ)には因幡堂があり、そこには大兎(おおうさぎ)大明神が祀られ、八頭町福本、池田、土師百井など、鳥取市内海の白兎神社の祭神と同一の神であるとされています。
現在因幡堂は但馬側(新温泉町)に移転されています。

周辺の観光

周辺観光としては、「白兎海岸」で、因幡の白兎伝説の舞台といわれる海岸で、白い砂の浜が弓なりに連なり美しいです。
海中に浮かぶ島は白兎が渡ったという淤岐ノ島[おきのしま]。
島の近くの点々と続く黒い岩礁は、神話どおりワニザメに見えてくるから不思議です。
夏は海水浴客で賑わうほか、近くにはハマナス群落があり、濃いピンクの花が咲く5月には甘い香りが漂います。

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所在地マップ

【所在地】鳥取県鳥取市白兎592

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