出雲大社
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概要
出雲大社(いづもおおやしろ、いづもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社で、式内社(名神大)出雲国一宮です。
正式名称は「いづもおおやしろ」といい、一般には主に「いづもたいしゃ」と読まれ、二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社で、創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。
祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみで、1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記されました。
神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり、神議が行われます。
(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではありません。
そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになりました。
創建
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出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られています。
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造ったということです。
古事記、日本書紀、出雲国風土記などに語られており、伝承の内容や大社の呼び名は様々で、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえます。
縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社」は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていました。
主祭神は大国様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。
大国主大神が祀られている本殿は延享の造営(1744)で建立されたもので、大社造で国宝に指定されています。
神社建築の中では日本一
神社建築の中では日本一を誇り、高さは約24m、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。
千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人一人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できます。
本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。
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所在地マップ
【所在地】島根県出雲市大社町杵築東195
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