岡城跡

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広大な敷地面積

岡城(おかじょう)は、豊後国直入郡竹田(現在の大分県竹田市大字竹田)にあった日本の城(山城)で、「臥牛城(がぎゅうじょう)」「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれます。
岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が源頼朝と仲違いをしていた弟 義経を迎えるため築城したと伝えられます。
惟栄は大持浦(兵庫県)を出航しようとして捕らえられ、翌年上野国(群馬県)沼田荘に流されています。
海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万m2、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。
大野川の支流、稲葉川と白滝川が合流する間の舌状台地上に築かれ、川岸からそそり立つその姿はかつて「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられます。
現在残されている城郭は、明治に至るまで岡藩を統治した中川公によって築城されたもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪(くるわ)からなっています。
趣味人であった第5代藩主中川久通は、城の北側にある絶壁に弦長約3m三日月を彫らせ、月のない夜も明かりを灯し、月見の宴を楽しみました。

荒城の月

明治2年(1869)版籍奉還後の4年(1871)には、14代277年間続いた中川氏が廃藩置県によって東京に移住し、城の建物は7年(1874)大分県による入札・払い下げですべてが取り壊されたということです。
瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1900)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表しています。
「荒城の月」のイメージどおり、残された石垣が当時の姿をしのばせ、春の桜、秋の紅葉と四季折々の姿で訪れる人たちを楽しませています。
廉太郎の名曲「荒城の月」のモチーフになった岡城の城下町で、滝家の旧家は記念館として公開されています。
市内には約60か所の湧水が点在し、中でも湧水が集中する入田地区は名水の里として知られています。
なだらかな曲線を描きながら流れ落ちる白水ダムをはじめ、黄牛の滝、神原渓谷など水の景観が美しいスポットが多いです。
周辺の観光スポットとしては、「竹田湧水群」で、阿蘇山系からの伏流水が一日に6万tから7万tも湧く竹田市にあります。
その量は九州一といわれ、環境省の名水百選にも選ばれ、湧水は飲料水や淡水魚養殖、水路などに使われています。

瀧廉太郎記念館

「瀧廉太郎記念館」は、「荒城の月」で知られる音楽家、瀧廉太郎が12歳から14歳まで暮らした屋敷が記念館になっています。
リニューアルによって、鳥のさえずりなど廉太郎も聞いたであろう当時の音の風景も再現されています。
「殿町武家屋敷通り」は、殿町は、かつて中級武士たちが住んでいたところで、現在も武家屋敷が残り、城下町の名残を色濃くとどめています。
一角には休憩所と案内所を兼ねた竹田創生館があります。

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所在地マップ

【所在地】大分県竹田市竹田提灯谷

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